上野で、マティスとモネと利休さんを偲ぶ

縁結び工房は、アジアと日本の伝統文化のご縁を結ぶ場所です。また、茶道からつながる世界をお届けします。

上野の東京都美術館で、20年ぶりというマティスの大回顧展が開かれているので、行ってきました。せっかくなので、早めの時間を予約して、不忍池の蓮を見てから美術館に向かうことにしました。

弁天門から弁天堂に向かい、不忍池をぐるっと回ってみると、蕾のもの、満開のもの、花びらが散って花托だけになったものなど、様々な状態の蓮の花を楽しむことができました。

蓮池の向こうに柳が揺れる景色は、パリ郊外のモネの庭・ジヴェルニーを思い起こさせます。池の周りにはベンチがたくさんあったので、茶籠を持参しなかったことを後悔させられる優雅さです。

美術館の予約の時間が近づいてきたので、動物園を横目に、マティス展へ。予約制ですが、かなり混んでいて、思った以上に入場に時間がかかりました。

「ニースの室内、シエスタ」や、「マグノリアのある静物」や、「赤の大きな室内」などの作品を見ていたら、原田マハさんの短編小説集『ジヴェルニーの食卓』に収められている、マティスの召使いだった少女の目線で描かれた『うつくしい墓』を思い出しました。

マティスによって審美眼を認められた少女は、マティス先生について、「光、色、かたち、配置。どれほど速く、的確に、また心情をこめて写し取るか」「その気持ちを、一瞬を、逃してしまってはダメ」と語っています。

そして、この短編小説を思い出すと必ず想起されるのが、山本兼一さんの『利休にたずねよ』です。この小説の中で、イエズス会東インド巡察師アレシャンドロ・ヴァリニャーノは、ポルトガルのインド総督の使節として聚楽第に招かれます。聚楽第には、総督からの豪奢な贈り物が並べられていますが、その前に、ひと枝の椿が活けられています。

「竹を切った筒にさした枝には、赤く丸い小さな蕾がひとつ。それに何枚かの葉がついている。ただそれだけの飾りつけなのだが、その姿は驚くほど力強く、(略)これは、ひとつの芸当だ」

「小さな調度品や飾りを絶妙な場所に配置することにかけては、世界でいちばん洗練された職掌の者であることを認めないわけにはいかない」
ヴァリニャーノは、利休の活けたひと枝の椿を見て、そう感じます。

思うのですが、洋の東西を問わず、芸術に優れた人というのは、「一瞬にして、的確に、絶妙な場所に、物を配置したり、写し取ったりできる」人なのですね。もちろん、違うタイプの芸術家もいるとは思いますが、マティスと利休には同じ芸術センスがあったと感じられます。

どちらも、たまに読み返したくなる小説です。

東南アジアの織物や工芸品を使った