江戸旅!あんみつと、牡丹の花と、江戸の守りの寛永寺と

縁結び工房は、アジアと日本の伝統文化のご縁を結ぶ場所です。また、茶道からつながる世界をお届けします。

「鬼門巡りを始める!」とブログに書いてから、1年経ってしまいました。
前回は、江戸の表鬼門の抑えとして、現在の場所に移された、神田明神へのショートトリップ。
今回は、表鬼門の第一の守りである上野・寛永寺への旅です。

神田明神についてのブログにも書きましたが、表鬼門は、皇居(江戸城跡)の『北東=丑寅の方角』にあたります。

徳川家康から厚い信頼を得ていた天海和尚が、江戸城の『鬼門』に当たる方向に寺社を配置し、鬼が出入りするのを、つまりは、災いが起こることを防いだのですが、上野の寛永寺や神田明神のある場所が、まさに、江戸城の『表鬼門(=北東)です
繰り返しになりますが、寛永寺が第一の守り。神田明神が念押しの抑えとなります。

そこで、「あれ?」と思ったのですが、「何度も上野公園には行っているけれど、寛永寺ってどこにあったっけ?」という疑問。

その謎を解くべく、今回は、上野公園前の『あんみつ みはし』からスタートです。
あんみつをいただく前に、小腹が空いたのでお赤飯のセットをいただいてみました。お赤飯はモチモチ美味しいですし、汁もきちんと出汁をとっていると思われる上品なお味。


クリームあんみつも、間違いなく美味で、旅はご機嫌のスタートです。

お店を出て、目の前の、車も人通りも多い大きな交差点を渡って、上野の山に入って行きます。
江戸時代、この広小路も、寛永寺の敷地内だったそうです。

ぶらぶらと、清水観音堂や、お稲荷さんや、大仏様のお顔やらをお参りしながら進んで行きます。左手に、上野東照宮の入口が見えて来ます。

こちらは、徳川家康公をお祀りする神社で、唐門や金色殿は国の重要文化財です。

冬の間、牡丹園では、冬牡丹や寒牡丹を楽しむことができます。
それ以外にも、梅や、蝋梅や、福寿草や、いろいろな花を楽しむことができました。

「藁ぼっち」という藁囲いで大切にされ、寒さから守られている姿。風情がありますね!

 

向こうには、旧寛永寺の五重塔が見えます。「旧」がミソです。そして、この五重塔も国指定の重要文化財です。
動物園の敷地内にあるので、近くでよく拝見したいという方は、動物園から見てください。
この牡丹園、春には、冬以上にたくさんの牡丹が咲くようで、それも楽しみですね!

元来た道を戻り、上野公園の中心地である噴水公園の辺りまで歩きます。感覚的に、この辺に寛永寺があっても良さそうな場所です。
本当に、そうなんです!江戸時代、ここに、根本中堂(=総本堂)があったそうです。
そして、その先の、東京国立博物館の場所には、本寺が。この辺りが、当時の中心地だったと聞くと、本当にしっくりきます。

それが幕末の戊辰戦争で戦場となり、壊滅状態に。その後、明治政府によって境内地が没収されるなどしたそう。
(詳しくは、寛永寺のサイトにあるので、興味のある方はこちらからご覧になってください)
本当に、戦争って、何一つ良いことは無いですね。。。

明治12年に寛永寺の復興が許されて、場所を移して、根本中堂が再建されたそうです。

その再建された寛永寺に向かって、歩みはまだまだ続きます。噴水広場と博物館を挟む道を左に進み、黒田記念館のところで右折。
この辺りは、素敵近代建築の宝庫です。

↑近代洋画家・黒田清輝の記念館 ↓京成電鉄の旧博物館動物園駅

↓国際子ども図書館

正直、見どころが多すぎて、寛永寺に辿り着くまで大変です!

この先を左折して、道なりに進んで行くと、とうとう現在の寛永寺に到着します!

こちらの建物は、川越の喜多院から移築されたそうです。現在の寛永寺も、見どころがたくさんあります。

そういえば、江戸千家の御流祖・川上不白は、神田明神に庵を構えていたそう。
そして、現在の江戸千家は、この上野の池之端に御家元がいらっしゃいます。
表鬼門つながり!江戸千家!江戸も東京も、守ってくださっているように感じます。

東南アジアの織物や工芸品を使った