利休忌に、利休さんゆかりの堺を歩く

縁結び工房は、アジアと日本の伝統文化のご縁を結ぶ場所です。また、茶道からつながる世界をお届けします。

新型コロナウイルス感染症の影響で、春の茶会が次々と中止になりました。大変残念ではありますが、高齢や持病のある方がご家族にいらっしゃる方々の不安を考えたら、また、感染者数の増加を少しでも減らすことができるのなら、やむを得ないことです。
それでも、お茶の大切な行事は忘れずにいたい。

旧暦の2月28日は、「千 利休」の命日です。新暦でいうと、3月か4月に当たります。

信長と秀吉という二人の天下人に仕え、わび茶を大成させた利休さんは、室町時代の終わりに、魚問屋の長男として生まれました。と言っても、豪商だそうです。しかも、倉庫を所有して賃貸で利益を上げていた納屋衆でもあったそうです。

利休さんが生まれたのは、現在の大阪府堺市宿院西一丁目辺り。そこは現在、『千利休屋敷跡』として、利休さんを偲ぶ人たちが訪ねる場所になっています。敷地内には、「椿井」という井戸があり、木造の井戸屋形は、大徳寺山門の古材を使って建てられたそうです。

私、縁結び工房の内山が訪れた際に案内してくださったボランティアさんによれば、千家の屋敷は千坪以上あったそう。その一部を、現在、裏千家が所有されているのだそうです。
ということは、正直、ここは屋敷跡というよりは、敷地の一角ということかな?と思ったりしますが、利休が産湯を使ったかもしれない井戸水で手を洗ってみると(井戸から少し離れたところに蛇口があり、井戸水に触れることができます)、500年前の、利休さんが生まれた頃の、貿易都市・堺に思いを巡らせずにはいられません。

屋敷跡の向かい側には、『さかい利晶の杜』があり、利休さんにまつわる基本的なことを勉強したり、お抹茶をいただいたりすることができます。

さらにこの辺りには、老舗和菓子屋が、徒歩圏内に集まっています。

1.丸一菓子舗
こちらのオススメは、何と言っても『利休古印』。利休さんが納屋衆として仕事をする際に使っていた印鑑を模したというお干菓子です。実印の役割をした丸い納屋判と、認印の役割だった小さくて四角い竹判の、2種類の砂糖菓子が入っています。

2.堺名産けし餅本舗 小島屋
こちらの一押しは、店名の通り『けし餅』です。
ケシの実とは、「アンパンの上に乗っているゴマのようなつぶつぶ」と言えば、「あぁ、あれね!」と思い当たる方もいるかもしれません。
餡を包んだお餅に、そのケシの実が、上も下も、右も左も、表も裏も、360度びっしりまぶしてあるのが、堺名産けし餅です。
こちらの小島屋さん、創業が江戸・延宝年間(1673-1681年、4代将軍家綱から5代将軍綱吉の時代)とのことですので、歴史がありますね。

3.本家小嶋
こちらの一押しは『芥子餅』。2.の小島屋さんは、ひらがなでしたが、こちらは漢字です。
そして、創業は天文元年(1532年)とのこと。なんと室町時代というのですからビックリです。
そして、痛恨の極みなのですが、私が堺を訪ねた際、本家小嶋さんに寄るのを忘れてしまいました。

4.かん袋
こちらのお店は、古さでいうと、江戸者としては唸らずにはいられません。創業は、なんと、元徳元年(1329年)で、鎌倉時代の終わりだそうです。
店名の「かん袋」というのは、紙袋のことだそうです。
その店名の由来ですが、、、
豊臣秀吉が大阪城を築城した際、寄付をした堺の商人らが現場に招かれたのですが、天守閣の工事中に、慎重に瓦を運ぶ職人を見た、この店の当時の店主が手伝いを買って出て、餅つきで鍛えた腕力で瓦を次々を放り投げていきました。それを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と評し、店名を「かん袋」とされたのだそうです。
そして、この「かん袋」の売り物は、「くるみ餅」です。くるみ餅と言われれば、胡桃のお餅かと思いますが、それが違うんですね。お餅をくるんで食べるから、くるみ餅なんだそうです。何で包むかというと、秘伝の餡で包みます。

堺といって忘れてはならないのが、「南宗寺」です。
重要文化財の仏殿、山門、唐門や、国指定の名称である枯山水の庭、そして千家一門の供養塔などがあります。千家のお茶をたしなむ者としては、一度は訪れ、手を合わせたい場所です。

お茶との関わりをポイントに、堺を駆け足で回ってみました。
大阪市内から、阪堺電車という路面電車で行くことができます。大阪まで行った際には、堺にも足を延ばしてみてはいかがでしょうか?

なかなか堺まで行く機会は無いという方は、こういった本などで、当時の様子を想像してみたり、

こちらの書籍で、ちょっと違った視点から堺を見つめてみたり、という楽しみもあります。

東南アジアの織物や工芸品を使った