タイ・チェンマイの銀細工と占い師
縁結び工房は、アジアと日本の伝統文化のご縁を結ぶ場所です。また、茶道からつながる世界をお届けします。
「タイとミャンマーの国境市場でお買い物!」でもご紹介しましたが、私はずいぶん前に、タイの北の都・チェンマイに住んでいたことがあります。
チェンマイは、かつてメンライ王によって統治されたランナー王朝時代の首都で、「ランナー文化」という独特の文化が育った場所です。才能ある陸上競技のランナー(runner)は生まれませんでしたが、建築や工芸等の芸術分野で、ランナー様式(Lanna Style)が花開いたのです。
現在はバンコクに次ぐタイ第2の都市チェンマイですが、過去にはビルマの一部となっていた時代もあったそうです。
そんなチェンマイに住んでいた時、在住日本人の間で、「よく当たる!」と評判の占い師がいました。その占い師はミャンマー(ビルマ)人で、旅行会社をやっているとのことでした。
バンコクから、どうしてもその占い師に見てほしいという友人2人が遊びに来たので、私は2人と一緒に、初めてその占い師のいる旅行会社を訪ねました。
第一声は、「背が低い」。 ・・・そうなんです、私は背が低いのです。
でも、それは誰が見てもわかること。どうやら、この占い師さん、誰にでも見えることと、自分にしか見えないことの区別がつかないようなのです。
旅行会社とはいえ、小さなカウンターがあるだけの個人経営のお店です。その時のお客さんは、全員が占い目当て。旅行の予約をお願いする人は皆無です。けっこう混んでいます。
我々3人もそれぞれ順番に占ってもらうと、お布施のようにお礼を包んで渡し、旅行会社を後にしました。近所の西洋風カフェに移動しスイカのスムーシーを飲みながら、3人で占い結果についてあれこれ感想を述べ合います。
私は、背が低いこと以外にも、概ね将来に希望が持てるような話をしてもらい、かなり満足。もう一人は、太った西洋人と結婚すると言われ、御立腹。
そしてもう一人は、「若い男女が神社のようなところで子供を授けてくださいとお願いしている景色が見える」と占い師さんに言われたのですが、、、
「実はあれ、私の両親のことだと思う。父は、私が生まれるとすぐに他界したの。
でも、大きくなってから母に聞いたら、父は、どうしても子供が欲しいから早く子供を生んでくれって、母に熱心にお願いしていたらしいの。母は、まだ早いからって乗り気じゃなかったんだけど、父の強い気持ちに負けて私を作ってくれたらしくて。でも、父は私が生まれるとすぐに天国に行ってしまって……。
父は、自分が早く亡くなることをどこかで予感していたのかもしれない。
さっきの占い師の話は、私が生まれる前の父と母の姿としか思えない。私が生まれてくることを、父が何よりも楽しみにしてくれていたんだと思うと、すごくうれしい」
彼女はそう言うと、何か温かくてやわらかいものを抱きしめた時のように、優しく微笑みました。
それからというもの、私はバンコクからだけでなく、日本から来た友人知人も、片っ端から占い師さんのところへ連れていくようになりました。そして、次第に占い師さんと親しくなりました。
占い師さんは、その名をボライさんと言います。旅行業では食べていけないので、(というのは私の推測ですが、)『出張お祓い』みたいなこともしていました。私も、休みの日などは、ボライさんを手伝ってお祓いの道具を作り、アシスタントとして一緒によそのお宅にうかがったりしたこともありました。
ボライさんの運転で旧市街の城壁の南にあるチェンマイ門を抜けると、ウアライ通りに出ます。ウアライ通りは、古くから、銀細工の店が集まるエリアです。車窓から、銀を扱う店々が遠ざかって行くのを眺めながら、今度は歩いてゆっくり来ようと心に決めます。
その後、何度もウアライ通りを訪ねました。日本から両親が遊びに来た時も、ボライさんのお店とウアライ通りは、外せないポイントとなりました。
家族揃って茶道を嗜む我が家にとっては、銀細工の店に並ぶ仏事の道具の一つであるカップがお目当ての品物です。建水に見立てて使用するため、これまで複数購入しました。
こちらは、ずいぶん後になってオーダーして作っていただいた建水です。小さ目なので茶籠用として使っています。ちなみに、こちらの茶籠の巾着は、もちろんタイ絹絣です♪ タイ絹絣を使った縁結び工房のオリジナル商品は、こちらのショップでご紹介しています!
ちなみに、ちなみに、占い師のボライさんですが、その後、「自分の店が繁盛する方角はあっちだ!」と、通りの向こうに引っ越しました。すると、占いだけでなく、旅行業もみるみる繁盛していきました。今ではすっかり実業家です。
さすが、よく当たると評判の占い師だけありますね!