江戸を旅する!表鬼門・神田明神と、蓮華庵と、池波正太郎さんと、和菓子と。
縁結び工房は、アジアと日本の伝統文化のご縁を結ぶ場所です。また、茶道からつながる世界をお届けします。
春ですね。
気持ちがすっきりと晴れるのが難しい社会状況の中、気分転換はもっぱら散歩です。厄災が続く昨今ですので『鬼門巡り』をしようと思い立ちました。
まず最初は、神田。
神田といえば、何と言っても『神田明神』。
神田明神は、皇居(江戸城跡)の『北東=丑寅の方角』にあります。
徳川家康から厚い信頼を得ていた天海和尚は、江戸城の『鬼門』に当たる方向に寺社を配置し、鬼が出入りするのを、つまりは、災いが起こることを防いだのですが、神田明神のある場所が、まさに、江戸城の『表鬼門(=北東)』に当たります。
神田明神は、江戸を守るために、元々は別の場所(現在の千代田区大手町)にあったものが、1616年に天海和尚によって、わざわざこの地に移されました。
表鬼門の第一の守りは上野の寛永寺ですが、鬼門を確実に抑えるための二重の措置だったわけです。
今回のお散歩は、江戸の守り神の一つである『神田明神』を目指して、都営新宿線の小川町駅からスタートします。
地上に出て、最初の目的地である甘味処『竹むら』さんに向かって歩き始めると、すぐに蕎麦の『まつや』さんが現れます。
少し進んで左折すると、『奇跡のトライアングル』と呼ばれるエリアに入ります。東京大空襲を逃れた一角で、関東大震災後に建てられた建築がいくつも残っている地域です。
そんな素敵なエリアに、目指す『竹むら』さんがあります。作家の池波正太郎さんにも愛された、揚まんじゅうや、粟ぜんざいが名物のお店です。
お客さんは、思いのほか男性が多いのですが、これは池波正太郎先生の影響かもしれません。
この奇跡のトライアングルエリアには、他にも、鮟鱇鍋の『いせ源』や、鳥すき焼きの『ぼたん』。建物は新しくなりましたが、『やぶそば』や、洋食の『松栄亭』など、池波先生に愛されたお店が何軒もあります。
残念ながら、ホットケーキが有名だった『万惣』はなくなってしまいました(味を継承するお店は都内にあるそうです)。
私の友人は、『竹むら』が『万惣』のようになくなってしまったらどうしようとビクビクしていますが、きっと大丈夫でしょう!
いつもでも続くと信じています。
甘いもので小腹を満たしたら、神田明神へと向かって行きます。神田川には、万世橋や昌平橋など、有名な橋がいくつもかかっていますが、どの橋も風情があります。
神田の明神下には、平次という岡っ引きが(野村胡堂の小説の中で)住んでいたのは有名な話です。
平次親分がいれば、住民の安全は約束されたも同然です。
この階段を上がると、もうそこは『神田明神』です。
境内の片隅には、平次親分と下っ引きの八五郎の碑があります。
その脇にひっそりと建つ石碑を見れば、出版社、映画会社、テレビ局などの、平次親分に対する感謝の念が伝わってきます。
そして、江戸千家の御流祖・川上不白は、十代将軍家治公の時代である1773年に、嗣子・自得斎へ茶頭としての家督を譲ると、ここ、神田明神の蓮華庵に移り住みました。
念のため申し添えますが、これは、現実のお話しです。
江戸千家第十代(当代)の名心庵宗雪宗匠のお話しによれば、神田明神境内のどのあたりに蓮華庵が建てられていたのかははっきりわかっていないということでしたが、武士だけではなく、町人社会にも茶を広めた御流祖にぴったりのお住まいのように思われます。
神田明神の北には、湯島天神があります。今回は、本郷三丁目駅から帰るので、湯島天神にも寄ることにします。言わずと知れた学問の神様ですね。
天神様は、梅と牛とも切っても切れない関係にありますが、この扉にも、そのことがよく表れています。
湯島天神から西へ曲がると、麟祥院というお寺がありました。三代将軍家光公の乳母であった春日局の菩提寺だそうです。
麟祥院を過ぎると、都営大江戸線の本郷三丁目駅は、もうすぐそこ。時間に余裕のある方は、東京大学赤門(加賀藩の御守殿門)を見ていくのもいいですね。
私は、自宅に戻ってから、お土産に買った竹むらさんの『揚げまんじゅう』をいただきました。江戸気分満喫の一日となりました!
池波正太郎先生が愛した『奇跡のトライアングル』にある名店は、こういった書籍で知ることができます。
☆その他の参考文献:『茶人 川上不白』川上宗雪著(江戸千家茶の湯研究所)